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鳴滝山圓明寺(円明寺)は大阪府と和歌山県の府県境葛城山脈札立山の麓に位置する臨済宗妙心寺派の末寺です。
今から1300年前修験道の開祖・役の小角(えんのおずぬ)神変大菩薩が法華経全28巻を葛城山系の二十八箇所に埋めて経塚をつくり霊場とした、その経塚『葛城二十八宿』の三番目(第三宿)の地が現在の圓明寺(円明寺)の鳴滝不動尊で、法華経第三巻比喩品(ひゆぼん)が埋められたと言い伝えられており、この葛城二十八宿の経塚が圓明寺(円明寺)の始まりです。
圓明寺(円明寺)についてのもっとも古い記録は正安年間1294年鎌倉、室町時代に遡ります。その記録には「鳴滝上人 空観によって鳴滝川の両丘に不動堂、弁財天堂、また山の中腹に七堂が整備された」とあるので、創建は13世紀頃と思われます。
その後、覚鑁上人が開かれた新義真言宗根来寺の末寺になりました。
圓明寺(円明寺)の寺域内には紀州より泉州に通じる「鳴滝越え」の間道が通り、寺領五十余万石、僧兵数万と称した根来寺を護る軍事要地とした、僧兵駐屯の関所でもありました。
その後、秀吉による紀州征伐の時に根来寺と同じく焼き討ちに遭い七堂伽藍を失ったのも、上記の理由によります。
江戸時代に入り元禄六年(1693年)、紀州徳川家から旧寺領をいただき、徳川家の庇護の元、現在地に本堂、庫裡、不動堂、弁財天堂等を順次再建し、臨済宗妙心寺派の末寺として現在に至っております。